今日社会が悪と呼ぶものは、単に生命が自らを主張することに過ぎません。健全な社会は、良い「理由」があるからではなく、余剰エネルギーが支出と消耗を必要とするから戦争を望むのです。 道徳と宗教は余剰エネルギーを調整する技術として機能します。